今日はポートランドとアートの関係について。
街中を歩いていて、これといって使い道があるわけではないオブジェやアートなどが当たり前のように生活の中に入り込んでいると感じることが多々ありました。
これはポートランドに限ったことではなく、いかに日本はアートが日常ではなく別のものと捉えられているかということの裏返しですな。
1枚目の写真は公共施設の玄関の様子。
存在感の塊みたいな赤いオブジェ、それに合わせた真っ赤なソファが目を引いています。
そして美術館前にはこんな光景が広がっていました。
1台のピアノが置いてあり、そこでピアノを弾いている青年が1人。
彼が美術館のスタッフなのか、通りがかりのピアニストなのか、全ては謎。
そしてそれを気に止める様子もないポートランダー。
おそらくこの光景は” いつものこと ”なんだろうと思います。
そしてお次は横断歩道にて撮った写真。
写真左側の黒い躯体が気になるー!
実はこの躯体は違う場所でも見かけました。
細い部材一つなら存在感がないけど、こうしてたくさん重なっていると存在感が出てくる。
そしてそれは見る角度によって、見え方が変わってくる。
生活の中にアートが入り込んでいるなと思いつつ歩いていると、
こんなものもアートに見えてきてしまいました。
建設中のビル。
青と補色の黄色のコントラストが美しい。
こんな感じで友人と2人ポートランドを2日間楽しんだ最後の晩御飯がこちら。
クラフトビールとアメリカンダイナー。
2人とも食べたかったお魚とビールで幸せなり。
私から見たポートランドは
背伸びをせず、気負わず、地域のコミュニティ第一の、等身大の、地元愛の強い、ご近所感の強い街でした。
私は刺激の強い奇抜なものに目がいってしまいがちですが、
この誰もが居心地の良さを感じるであろう安心感と安定感が
本能的に人を惹きつけることがわかりました。
ポートランドが人気のある街であることは納得である!