【どこまでが自分の仕事か】

毎年のことながら、ゴールデンウィークは仕事に明け暮れます。
住宅街の店舗は、皆さん観光に行かれることもあって通常よりもスローペースですが、
私はその観光地での催事と母の日の製造があるので、今年も焼き続けておりました。

今回のゴールデンウィークはソラマチでの催事に参加して、初日に現場に立ちました。


素敵に陳列していただき、感謝ですばい。

「お客さんに楽しんでもらいたい」という主催者の思いと私の思いは同じ方向を向いてるから、私も積極的に関わっていきたいのだ。
賑やかしとして立つ、そして参加するからにはお客さんに喜んでもらいたいから、お客さんの需要を見極めたい。

まず催事に参加するとき、
どんな人が、どんな楽しみ方を期待して来るだろう
と予想して、商品構成を考えます。
例えば毎年参加している広島や熊本の催事には
「広島の食材」
「熊本の食材」
を使用したお菓子を用意したり(毎年各地のお芋や栗を取り寄せて渋皮煮にするのはしんどいけどさ)。
もちろんいつも通りの商品も出しますが、少しでもその場所に暮らす人に喜んでもらいたいから、
「地域に寄り添う姿勢」
は持っていたいなという頑固な私。

今回のソラマチは
「観光に来た人」
という予測は立つものの、自分用のものを買うのか、お土産を買うのか、そこら辺がよくわからない。
ひとまず東京の素材(国分寺のお野菜こくベジ)を使った商品は出すとして、他はどんな需要があるだろう?
行って自分の目で見て判断するしかない!
というわけで初日に行ったという流れです。
正直、その後の別催事のための製造に追われているので1日ソラマチに使うのは痛手ですが、見に行ける距離なら行って、その時の最善を尽くす、というところまでが製造側の責任だと思っています。
意外と真面目、會田由衣。

結果、お土産需要と同じくらい
「混んでる飲食店からあぶれた人が軽食として買って屋上ベンチで食べる」
という使い方があるとわかり、帰宅してからスコーンを増産して追加納品しました。

「餅屋は餅屋」
という言葉があるように、多くのことはプロに任せるのが1番。
陳列や見せ方、場づくり、宣伝は主催運営さんを信頼して任せますが、何を作るか、商品を通してお客さんをどう楽しませるかの試行錯誤は製造側の仕事の範疇。
商品を催事会場に送付しておしまい、ではないと思っています。

例えば参加する催事で弊店の売上が上がらなかった時、
「売れなかったな」
「そこで私の商品の需要がないからだ」
と、そう自分の中で考えることをやめてしまったらそれまで。
毎日売上報告を下さるので、何かうまく行っていないとわかったら、そこでできる改善策(と思われるチャレンジ)を試す。
それで効果がでなかったとしても、次の機会にはまた違うチャレンジをできるから、無駄な労力にはならない。
もちろん需要がない場所に出ていくと思ったような成果が得られず疲弊することもあるけど、
つまるところ商品力があれば突破できると私は思っている。(自分で自分を追い込む言葉だけど、事実そうだと思う。)

また主催側は企画、宣伝を通した場づくり、商品を使ってどうお客さんを楽しませるかの試行錯誤が仕事。
もちろん商品力がないとお客さんに喜んでもらえないのは当たり前ですが、主催側が
「売れるか分かんないけど、出したいならどうぞ。」
なんてスタンスだと、私はやる気になれない。
私は
「参加するからにはお客さんに喜んでもらえるよう(そして結果的に売上に貢献できるよう)精一杯がんばります!」
というスタンスなので、主催者さんが
「精一杯、企画広告に尽力して、皆さんの商品の魅力を引き出しますから!」
というスタンスだと、俄然やる気になる。



そして企画がお客さん目線(お客さんのメリットになるような提案ができてるか)じゃなくて、主催者目線(イベント発注主の機嫌取りのためのイベントとか)だと、やっぱり私はやる気になれない。
主催者と製造者と、場所の提供者の「お客さんに楽しんでもらいたい」という思いがうまく形にできたときに、お客さんを喜ばせることができる、と私は思っているから。

もちろんお互いにミスもあるし、うまくいかない事もあるけど、その心意気が信頼と
「この人と仕事をしたい」
につながり、
「お客さんが喜んでくださる」
につながると思っている。
結果が振るわなかったとしても、心意気は透けて見えるから。

私は場づくり(企画)のプロではないし、そこにかける余力や時間もない。
だからこそ、同じ方向を見ることができる仕事相手は大切だなと再確認する今日この頃。

ちなみに今回のソラマチ催事でのやり取り。

私「追加でこれ送りました。しくよろ!」
主催者「がとあり!しっかり売ります!」

お互いが自分の仕事の範囲を理解して取り組める人と仕事ができるありがたさよ。