【相手と私】

写真はナッツサンド。
今出しているお菓子の中で、一番新しい商品かつ私が一番好きな商品。
今年はこれを上回るものを作りたいと思っています。
年を重ねるごとに自己記録を更新していくのだ。

1月2月は体制を整えつつ、先の計画をしつつ、体を整えるシーズンです。
といっても催事は動いているのである程度のヨレ具合ではありますが、
仕事仲間と会う時間もとれるチャンス到来。

最近、仕事仲間から
「ゆいさんはどのグループにも属してないよね」
「ゆいさんはちゃんとした会社の人達とも、ヒッピーなフリーな人とも自然に交流できる人ですよね。」

なんて事を言われました。
この瞬間、私の思考回路はフリーズ。

どちらも無意識なので、
「そう見えてるんだな」
と自覚したのと同時に
そういう視点もあるんだなと思いました。

私は帰国子女が多い学校だったおかげか、変なしがらみみたいなものは少ない環境で育ち、
特に大学時代からは群れを気にせず自由に動いて心地よい人生を送っているので
「群れる」
という感覚がいまいちわからないようです。
自動的にカテゴリーにはめてみられることはあっても、
自分からどこかに属する事でどんな安心を得るのかな?
どんな安心なんだろう?
属したところで、人生は全て自己責任だよね?
素朴な疑問にかられています。

例えば会社員だったとして、
「会社に所属すると、収入は大きく上がることはないけれど固定給が支払われるから心の安寧を得られます。」
というのならわかる。
しかし私はそもそも自営業を選んでいる時点で
「属することで安心を得られない。」
という感覚を持っているのでしょう。

もちろん私も仕事仲間や友人の助けがなかったら今は確実にないと自覚していますが、
「これはあの人も好きだから声かけて一緒に行こう。」
「あの人が作るあれ食べたいから会いに行こう。」
「今の私ならあの人の役に立てるかも」
と、”相手と私” という単位でしか考えていないのかもしれません。

私は法を犯している人以外はフラットでいたいと思っています。
「思っている」
というのは、無意識にラベリングしていることもあると思うので、100%は出来てないだろうから。
でもその人の社会的地位が高くても低くても、国籍がどこであっても、目の前の人と私のやりとりには無関係だと思っています。
もちろん相性や生き方の違いはあるけど、社会的地位は無関係。
特に仕事において相手の社会的地位が上だからといって謙る必要もないし、相手が個人事業主でも大企業の人でも、私は私としてその人の前にいるだけだと思っています。
目の前の相手に尊敬を持って接するのみ。

「グループってなんだ?」
というカルチャーショックは結構大きくて、ちょっと周りを見回してみました。
周りにいてくれる居心地の良い人たちはみんな属してないタイプの人だと気づくの巻。
先日あった友人との会話

友人「私、仲良くしている友達は1人。」
私 「私は2人。」
友人「でも仕事仲間はたくさんいるでしょ?」
私 「そうだね、ありがたいね。」

こんな感じの人生、さもありなん。