あけましておめでとうございますと言い難い年の始まり。
放っておくと心が沈んでいくのが目に見えているので、ランニングやストレッチで身体を動かしています。
血行を良くしたら、自然と気持ちも前を向く。
そこはオートマチックな人間の体です。
皆さん、騙されたと思ってお試しあれ。
年の初め、
「今年は何をやるつもり?」
と聞かれることも多いのですが、いつも通り何も決めていましぇーん。
加えて、年末年始も特に休みを取らず、昨年6月に法人化して第1期が半分終わったところなので
「一年の区切り」
という感覚がないのです。
代わりに8日からお店は冬休みをいただいておりますが、
書類作成に追われており、やはり1月という感覚はないですな。
(トップの写真はお休みの日の私の目の前に広がった平和な様子)
これまで通り、私ができることを、できる範囲をちょっとだけ越えてやりきるだけだと思っています。
今日は私が最近考えていることについて。
私は悩みや迷いはないタイプですが(悩んでる暇あったら全力で問題や悩みの解決に力を注ぐタイプ)、最近しみじみ思うのは
「ずっと自分のためには頑張れないな。」
と。
そう思える様になったのは、自分のやりたい事を仕事にして、家族が暮らせるところまで来たからだと思います。
もちろん極小お菓子屋は不安定ぐーらぐら、どこまで行っても安定なんてないわけですが5年前に想像したところよりは一歩先に来れました。
全てはお客さん、家族、友人のおかげ。
不安定さに麻痺したのかもしれませんが、5年前より生きた心地がしています。
と同時に、
「周りのみんなにサポートのおかげで、たくさんの方にお菓子をお召し上がりいただけて、嬉しい声をいただけて、家族が暮らせて、幸せだなと思う一方で、私は次どこに向かえばいいんだ?」
という疑問も湧いてくる様になりました。
「有名になりたい!」
「もっとお金を稼ぎたい!」
「ブランドを大きくしたい!」
「昔バカにしたあいつを見返したい!」
などなどの動機があればいいだろうけど、
有名になったら暮らしづらくなるし、
お金がたくさんあったとして安心が得られるわけじゃないし(ある程度まではいいとして、その先いくらあっても不安な人は不安だから。)
人をバカにする人の物差しで推しはかられても私には全く関係のないことだと思っているし、なんとなくの虚無感みたいなものがある、というのが正確な表現。
そんなことを感じ始めている自分に気付いた2022年中頃からフードバンクへのお菓子の寄付を始めました。
そして売上から戦争や災害の時に寄付したり、台湾での低所得者層の子供達とのお菓子作りをしたり、神奈川県の保護犬猫施設への寄付をしたりと、その時の環境の中で無理しすぎずできることをできる範囲でちょっとづつ進めてきました。
もちろん
「困ったときはお互いさま」
の精神でやっているのですが、つまるところは私の自己満足。
自分のため。
綺麗事と思われるかもしれませんが、少しでも誰かの役に立てるかなと思えたら頑張れるもんです、人間。
これらの活動をするには、つくりて自体を安定させる必要がある。
安定させるためには、お客さんがもっと喜んでくださるような商品づくりや「つくりて」というブランドを作っていくことに注力しようと思える。
つくりての売上から寄付したら、お菓子を買ってくれている人の気持ちも一緒に届けられるし、私のやる気が保たれてサイコーなスパイラルなのである!
現時点では、私の気力体力勝負になってしまっていて継続性がないので(昨年しみじみと限界を実感)、そこを改善する施策を打ち、かつ無理なくできる慈善活動の幅を広げていきたいと思っています。
「なんか頑張れないな。」
「なんかやる気でないな。」
と思うことは誰しもがあると思うのですが、
そんな時は誰かに何かしてもらうことを期待するより、
自分のことを一番よく知る自分がうまく手綱を引いてあげるのがいい。
だってさー、家族でも、恋人でも、親友でも、誰かの期待に自分自身が応えられていないのに、誰かに期待するなんて烏滸がましい話だわさ。
30歳の頃にはできなかったけれど、40歳をすぎて自分の扱いがだいぶわかってきました。
最後に。
「寄付やボランティアは黙ってやるべきだ」
という意見があるのも承知ですが、私はお客さんからいただいたお金や気持ちを届けていると思っているので、つどつど報告していきます。
御理解いただけると幸いです。