【礼儀と謙虚さと尊敬の念を】


写真は茶梅のブラウニー。
鹿児島県産の粗糖、紅茶に漬けた梅は甘酸っぱくて、ブラウニーのいいアクセントになっています。
漬けたのは3年前だから、ちょうど厚木に来た頃かな。


私は厚木に来て3年。
今日は厚木について書きたいと思います。


お店開店とともに移住したので、バッタバタの無我夢中な3年間でした。
厚木市内のお店や場所を十分に回れているとは言えませんが、これから徐々に楽しんでいこうというところ。
お客さんや、ICHIGO MARCHEに出店して厚木で事業を営んでいる人達からいろんな情報をいただくしね。
お店には年配の方も多く来てくださるので、昔の厚木のお話を伺うのも面白い。
厚木は生まれた時から厚木市民という人が多いし、何を隠そう渉のご両親もほぼずっと厚木(途中何年かだけ海老名にいたそうな)。
渉のように、一度は他の場所に行って、Iターンする人も多い厚木。

少し調べてみると、
その昔は畑やたんぼの中に、大手企業の工場がぽつぽつとあるような街だったそう。
1968年東名高速道路の厚木インターチェンジができたことをきっかけに、厚木の都市化が進んでいき、
1970年代には小田急線本厚木駅の周辺が整備され始め、人口が増え、今は都内で働く人のベッドタウンとしての役割もある。
何十年と、この県央という地域で一番大きな都市という役割を担ってきたらしい。

もちろん私はその過程を経験していないのですが、当時の厚木は激動だっただろうなと。
日本全体的に激動の時代ですが、やっぱりゼロからイチを作るのは大変だからね。
そこで変化することを怖がりながらも、それぞれが尽力したから今の厚木という街ができたわけで尊敬です、本当に。


厚木の年配の方は厚木の良さをお話してくれる方が多いです。
自分の若い頃と重ねて、思い出補正が入っている部分もあるとは思いますが、
人の手が入っていない自然、昔から知っているご近所さんとの気兼ねのない関係性、必要十分な経済環境(仕事場、買い物など)などなど、
パッと華やかなものではないけれど、この年になると身にしみてわかるような ” 生活のしやすさ ” を上げる方が大多数。
わかるなぁ、意外と個人店も多くて、お客さんとお店の人が昔の商店街みたいな関係性で私はとても好き。
人の手で整備された(計画された)カフェ併設の緑みたいなものより、そのまんまの緑が好き。
ぼーっと歩いていると常連さんに声をかけてもらえるような、ご近所感が好き。
そして、私に
「厚木はなんもないでしょう?」
と笑顔で仰る方も多い。
その言葉の裏側には
「あなた年齢の人は遊ぶところも少ないんじゃない?もう私の歳だったら満足だけど。」
という意味が隠れていて、そのご本人は厚木での暮らしに満足していることが伝わってきます。
そうじゃなきゃ、こんなに厚木に住み続ける人やIターンする人はいないよね。


一方、比較的若い40代くらいまでの世代からは
「近年の厚木はお隣の街、海老名に押されてしまっている。残念。」
なんて言葉を耳にする事も多々あります。



百歩譲って、生まれてからずっと厚木の人がそういうならまだしも、
いろんな都市計画を知っている研究者がそういうならまだしも、
3年ぽっちしか厚木に住んでいない & 都市作りの知識がない私が迂闊に
「近年の厚木ってちょっと残念・・・」
なんて言ったとしたら、烏滸がましさ120パーセントだと思う。
いや、200パーセントだね。
グーパンチものです。
厚木を作ってきた人への尊敬や、ここで暮らす人の思いや姿勢に対する配慮が欠けているから。
そして先人が築いてくれたベースがあるからこそ、そう言えるんだと思うから。

一方、もっと堂々と
「厚木サイコー」
って言える街にしたいという気持ちは理解できます。
商業的観点だと、厚木は駅前から少し奥に行くと温泉や山など自然豊かで素敵な場所がたくさんあるから、そこに人を呼びたい(魅力を伝えたい)という気持ちも理解できる。
確かに都内からも電車一本で来れるし、都内にはない大きな自然が溢れている。
特に、厚木以外のところで暮らしてきた人だからこそ見えてくる魅力もあると思う。
(東京生まれ東京育ちの私が厚木へ越してきた時、家から山が見えるってどんだけ贅沢なんだと思いましたよ。)


しかし、本当に厚木の魅力を伝えたいのであれば、各事業者が自分の事業(得意分野)を進めていくしかないと私は思っています。
事業者本人が楽しみ、「目の前のお客さんに喜んでもらいたい」を第一に考えていれば、自ずと人を惹きつけるオリジナルなサービスが自然と生まれてくる。
もちろん事業者が単体でできることに限りはあるし、わかりやすい結果が出るには時間がかかるし、なんとなく大人数の方が達成感を得やすいし、心細いのもすごくわかるけれど、
まずは自身のサービスを磨くこと。
それが熟して、具体的な次の展開が明確になり、そこに必要な人材や技術が足りないなら、周りの人の協力を仰ぐ。
人を巻き込むときは、相手の時間やエネルギーを使うということを自覚して、その順番と準備を忘れないようにしないとなと。


また例えば農家の人が『この先の農業の発展のためにイメージを変えて、若者にもその魅力を伝えたい』みたいな意気込みでおしゃれな農業を模索する、などの目的がある場合などは、もちろん別の話ですが、
まずは自分(自店)がおしゃれに見られたいとか、そういうんじゃなくて、お客さんが喜んでくれるサービスを作ることに尽力する。
それが全てだと思っています。


また、広告や体裁を整えて周知することは大切だけど、その効果って超短期的。
広告会社にいた身としてこんなこと言うのもどうかなとは思うけど、やはりそこで働く人自身がその場所の魅力を感じて、自分の事業を通して「目の前のお客さんに喜んでもらおう」という気持ちを第一に日々精進する姿勢がないと始まらない。
そのベースがないと、広告を打っても、体裁を整えても、周りの事業者と手を組んでも自己満足に陥ったり、お客さんを喜ばすことには繋がりづらいし、結果的に地域に貢献できないと思う。


私でいうなら、厚木店は厚木の食材を使い、国分寺店は国分寺の食材を使い、両店舗のお客さんに喜んでもらえるようなお菓子作りに尽力する。
そしてそのお菓子を持って地方催事や通販、デパートへ出て行ってお菓子を販売する。
初見のお客さんが厚木、国分寺という名前に触れて興味をもってもらうきっかけになれたら、バンバンザイ!
厚木や国分寺のお客さんに
「つくりてってお菓子屋さん、私が暮らしている街にあるんだよ」
と誇りに思ってもらえたら、バンバンバンバンザイ!


まず最初に、厚木という街はそこで暮らしてきた人が時代時代で作り上げて、盛り上げてきた街であることをしっかりと理解し、その人たちに対する尊敬と感謝を。
厚木を歴史や文化をしっかりと勉強して、地域文化を作ってきた人達への尊敬と感謝を持った上で、
「今の厚木の何を生かしていったらいいかな?」
だよねと。
だから例えばカリフォルニアやポートランドスタイルのカフェを持ってきてポンとおいたからと言って、厚木の魅力は活かせないし、地域の人の誇りにはつながりづらい。
かつ、長く愛されるものにはなりづらい。
なぜなら基盤となる文化の上に成り立つ「スタイル」だから。
よそからそれっぽいものを持ってくるのではなくて、まずは厚木のこれまでを理解することが何より大切だと思っています。
例を挙げると厚木は昔からいちごが名産品でいちご農園が多く、そのベースの上で最近は観光農園も増えているのを目の当たりにして、
素晴らしいなぁ、こういうことなんだよなぁと勝手に感じています。


というわけで、厚木の歴史を勉強中。
そんなことを考えていたら、友人から
「先人の失敗や成功、歴史を学ぶことは大切だ」
みたいな発言があって、やっぱりこれは間違ってないんだろうなと思ったり。


ちなみに渉は
「厚木はニュートラルだ」
と言います。
特段煌びやかなものや、他にはないものがあるわけではないけれど、
片寄りがなく、ベースは変わらず、過不足がなく調和がとれているという意味です。
日本語でいうなら中庸。
これって、目指そうと思ってもなかなかできないよなぁと思うのです。

厚木と国分寺のこれまでを勉強だなと決意を新たにするの巻。
そして私は11日からのパンタスティック!!@調布パルコの準備に勤しむのである!