【どうせやるなら】

写真は南瓜のタルト、しっとりバージョンとふわっとバージョン。
個人的にはふわっとバージョンが好きですが、
渉はしっとりバージョンがいいと。
気まぐれで毎週どちらかを作って店頭に並べています。


今日は少し前のこと。
仕事仲間に安定感が出てきたと言って頂き、
「それはあなた達のおかげだよ、ありがとう!」
と御礼を伝えたら
「それはゆいさんが悶え楽しんでるからだよ」
と。



的を得た表現だとしっくりきました。
悶え楽しむ。



私は
どうせやるなら
というスタンスです。



仕事に関して、
催事に参加させてもらうなら、
ポップアップさせてもらうなら、
毎回何かしら新しいことをしよう、と取り組みます。
新作を出すのはもちろん、自分が現場に立てない地方催事では
「いかに省スペースかつ、スタッフの手を煩わせず商品のことを伝えられるか」
を考えたPOPがものすごく重要なので、POP を変えてみたり。



お店を開けるなら、
毎週のように来てくださる方にも楽しんでもらえるように季節の素材で新作を出そう。

こんな感じ。

結果、時間と労力がかかるので確実に悶えます。

でも誰かが喜んでくれたら
「やってよかったー」
と嬉しくなるし、失敗しても
「大コケしたわー」
と笑い話に変えて誰かに笑ってもらえたらよし。
自分の専門分野での失敗は糧になるし、その時間と労力や手数は次の一手の精度を上げることはわかっているから、
失敗は怖くない。(同じような失敗を繰り返すことは糧にはならないけれど)



私はだいぶドライに考えるタイプ、かつ人目を気にしない人なので悶え楽しめるけど、
悶え苦しむタイプの人もいる。
たぶん世間一般的には後者の方が多い気がします。
だから万人にオススメは出来ないけど、
「どうせやるなら」
が人生を豊かにしてくれる場合もある、かもよ?