【豆乳バターサンド】

想像以上に人気になってる、バターサンド。
オートミール入りのザクっと系クッキーに豆乳バターのフィリングをサンドしたお菓子。
サイズは小さいけれど満足度の高いお菓子だと自負しております。
生チョコ食べるような感覚と言ったらいいかも。
乳製品が食べられない人はもちろん、たくさんの方に食べていただきたいと思う一品です。

こうして私は作業場に篭りっきりな2021年を過ごしているわけですが、
先日、久しぶりに仕事で都心に出ました。
そこで久しぶりに会えた人と話していて、
「抱えるものも大きいのに、無邪気で素敵な人だな。」
と思いました。
「ゆいさん、これ見てよー。」
と嬉しかった事を報告してくれたり、どこか子供みたいな無垢さを感じさせる。
そんな自分にないものを持ってる人がキラキラ見えました。

そして他の人も交えて話していたら
「2人、同じタイプだよね」
と言われて驚くの巻。
目から鱗とはこの事。
そしてその方自身も
「たぶんゆいさんも向かってるとこは同じだよね」
と。

立場も、社会貢献度も、影響度もまったく違う私がおこがましい。
加えて私は彼ほど純粋無垢ではない自覚がある。

あまりの衝撃に帰宅しながら考えていたら、思い当たる節が出てきました。

・私は知り合いに会う時、「久しぶり」と言いながら会わない。
・休憩から戻った時、みんなの前で「みてみて、今さ、コーヒーこぼしてほら、白シャツにすんごいシミ!あはは。」と見せたこと。

前者について、この日は「あーそーぼー」と近づいて行きました。
あとは「山やっほー」なんていうこともあります。
普通に挨拶するのもいいけれど、相手が笑顔になるかなと思ってかけた言葉です。
と、それは後付けの理由で実際は無意識。
でも笑顔は人との距離を縮めるので相手に失礼がなくて子供みたいな挨拶をしがちです。

後者について、いい大人が白シャツにコーヒーこぼすって鈍臭さ抜群だなと思ったので、どうせなら笑いのネタにしようと思ったから。
この歳で恥ずかしいとかないからね。

要は、私の場合は無邪気じゃなくて
「どうせなら私も周りも笑顔になれた方がいい」
と根っこで考えている結果、そう見えているのかもしれません。
くだらないことで笑えるって豊かさの象徴だもの。

この私が久しぶりに会った彼は緻密に考えて、完成度の高い商品作りをして、それを手に取った人が笑顔になる。
商品が一人歩きして人を幸せにできる。
人を雇ってもその力が発揮されるものづくりができている。
私は瞬発力で70%の完成度の商品作りをして、お店の雰囲気などの力をプラスして、直接手渡す事でやっと力を発揮できる。商品のみでは力不足。

ここが大きく違う。
もちろんどちらが正解というわけではなくて、自分を卑下しているつもりはさらさらありません。
しかし客観的に自分をみる機会として勉強になるなぁと。

自分に足りないものを知ることって大切。
そんなことを思いましたとさ。