【人生は修行なり】

催事がひと段落して、次の催事は1ヶ月後。
お店の営業と通販を作りながら、後回しにしていた3つの案件について考えていますが、
すでに頭を使いすぎて完全にパンクしとります。
合間に中国語のレッスン、ランニングを挟んでなんとかやりすごそうという魂胆です。


3つの案件はどれも
「商売」
ではなく、
「お菓子屋つくりての會田由衣としての修行」
みたいなもので、私自身の人間力をつけるにあたって大きな糧となることは間違いない案件です。
近視眼的な見方ではなく、10年先、20年先を見て考えた時に、これからのつくりて會田由衣に必要なこと。
もちろんお菓子屋としてやるべきこと、準備すべきことはやりつつ、催事がないうちにこちらも並行して進めています。

3つ全てが実現するかはまだわかりませんが、「できる形」を探して考え、話し合う中でどれも困難は多めですが、恵まれた環境だとつくづく感じています。

全て同年代の方々と進めていますが、40年そこら生きてくると、それぞれがそれぞれの分野でいろんな見識を得ているから、新しいものの見方や知識に触れて、軌道修正する機会をもらえる場面が多いと感じているから。
相手にもそう思ってもらうためには、自分もいろんな経験をして見識を得る必要があり、ぼんやりしてる暇はないな、日々成長するぞと背筋がピンと伸びる感覚です。
そして出会った時はこんな展開になるとは思わなかったけど、あの出会いは必然だったんだと思える瞬間も多く、なんとなく人生の帳尻があっていってきているような感覚でもあります。

私が誰かと一緒に何かをやる時に気をつけているのは、
「関わる人全員がやってよかったと思えるものにすること。」
「風通しを良くすること。」
の2つ。
全員の中にはもちろん自分も含みます。
他人も自分もみんながやってよかったと思えるものにする。
そして誰でも得意不得意があるから、お互いがサポートし合えるように、相談しやすい関係性を築くことは必須です。

これが次へとつながっていくから。

先日、友人と話している時に私は
「お金より信頼が欲しい。」
と言っていました。
そのために媚びるつもりも、無理をしすぎるつもりもありませんが、
「ゆいさんにお願いしたい。」
「ゆいさんがいるなら安心だ。」
「ゆいさんがそう言うなら任せとけい!」
そう思ってもらえるような人に私はなりたい。
生きていく上でお金が不要と言っているわけではなく、人間社会において信頼を得られるほどの事をできたら、自動的にそれ相応のお金が入るシステムになっている思うのです。

もちろん搾取したり利用しようとする人を嗅ぎ分けるスキルは要りますが、得るのが難しくて失うのは簡単な「信頼」を得られたら、人として少しは成長できたと思えるんじゃないかとも思っています。


製造に追われて無心で作っている日々と、考えることに集中して頭パンクしながらお菓子を作ってる日々と、どちらも私にとって辛くて楽しい。
人生は修行なり。