【人の価値】


15kgの塊で買っているココアバター。
真四角の塊で納品されるので、もはや凶器みたい。

仕入れるときはいいお値段なので、こんなに売れるんだろうかと毎度不安になってしまいます。


売り上げが上がらないと、自分が否定されているような気持ちになる。
これは個人事業主によくあるやつ。
上司に怒られ続けると、自分が否定されているような気持ちになる。
これは会社員によくあるやつ。
子供が勉強をやらなかったり悪さをすると、親である自分のせいだと言われているような気持ちになる。
これは子供を持つ親が陥りがちなやつ。
そして外で仕事をしていないと、世の中で価値がないかのような気持ちになる。
これは主婦や主夫が陥りがちなやつ。

「仕事ができるか否か、子供が真面目か否か、お金を稼いでいるか否かと、その人の価値はイコールではない」
と私は思います。
それでも弱ったときにはイコールに感じてしまうことがある。
自分に自信や余裕がないと、誰かをそう貶めて自分を保とうとしてしまうことがある。

メンタル強靭と思われがちな私ですが、人並みに心がささくれる時はあります。
ただ、つくりてを会社にしてから私の感覚は大きく変わった気がします。

個人事業主だった時は
「會田由衣=つくりて」
という感覚でした。
もちろん家族や仲間に支えてもらっているのでイコールではないのですが、うまくいってもいかなくても全て自分のせい。
良くも悪くもそう感じていました。
ただ法人化してからは不思議とその感覚は変わりました。
業務内容としては全く変わらないのに、
「會田由衣はつくりてのマネージャー」
みたいな感覚です。
つくりてというブランドをどう育てていこうか、こういうオファーがあったけど、これからのつくりてに必要な事は別にあるからお断りしよう、今回うまく行かなかったのはつくりての長所を活かせなかったからだろう、など少し離れた視点で見ている気がします。


「法人格は別人格」
と言われるけど、まさに私とつくりては別人格になったよ!
会社の口座から毎月お給料が支払われたり、郵便の宛名が
「つくりて合同会社 代表 會田由衣」
となっているのを繰り返し見る事でその感覚が醸成されていくのかもしれません。
お給料の自動振込設定だって私がやってるのにね。
人間、単純なもんですな。

私の場合はこうして年々生きやすくなっていますが、
世の中をみていると、
人間社会的に成功している人が尊いみたいなメディアを目にしたり、
勝ち組負け組みたいな言葉が出てきたり、
人を価値を勝手に推し図ってジャッジしている場面をよく目にします。
その人の価値って単焦点でそんな簡単に推し量ることができるものではなくて、
他人が決めるものでもないと私は思っています。
だから例え誰かが自分や周りの大切な人の価値を勝手に推し量ろうとしても、
そこに反応しなくていいのであーる!
自分で自分を卑下して推し量ろうとするなんて、
無意味なのであーる。


私はつくりてだからこそできることは何かを見極めて、社会に対してどんな価値を作っていけるかを考える事に集中しています。
それが側から見ると
「強い」
と見えるらしいのですが、単に視点の置き方を変えてるから、周りが気にならないだけ。
私は好きなことの延長線上に仕事があるので仕事を楽しんでいますが、
趣味を楽しむだっていいし、子供の成長を喜ぶだっていいし、家事を楽しむだっていいし、
とにかく自分が心地いいと思える状態に自分を置いて、
自分で自分を笑顔にしようとする姿勢は大切だよねと。
それは結果的に誰かを笑顔にする事につながるから。
その姿勢こそ「価値がある」と私は思うのです。