【困った時はお互い様理論】

密な環境におしこまれているクイニーアマンたち。

2021年、想像以上にコロナ禍です。
秋に再開した催事も春は軒並み中止かなぁ、イベント運営の皆さん厳しいよなぁと胸が苦しくなる一方、極小個人店に
「頑張って」
と声をかけてくださる方も多く、通販のご注文もいただき、
おかげで元気にやっとります!

そんな中で思ったこと。

テレビニュースは自動的に事件や社会問題などネガティブな内容を耳にする事になるし、映像と音声で1視点の報道を見せられると冷静に判断しづらくなる気がして(個人的見解)、出来るだけみないようにしています。
政府の動きや企業の動きなどの情報はネットで記者発表を見て、お店のある国分寺市や厚木市の情報はTwitterの市議さんの投稿をみればOK!
恐怖心を煽られてティッシュペーパーを買いに走ってしまうこともないし、
必要な情報のみ得られるいい手段だと思っています。

最近の政府の補助金や協力金がどうのこうのという話題では
「へー、そうなんだー」
と傍観しています。(私は昼間営業の小売店なので基本関係なし)
その額ややり方に賛否両論あるのはいろんな理由があると思いますが、
「社会に必要とされていないと感じる事」
も怒りに繋がる大きな理由かなと思いました。

TVと離れた生活を送っていても、生活の中で
なんであの業種は補助金が出るのにこの業種は対象外なのか、
金額が運営母体の大小問わず全国一律はおかしいんじゃないか、
などなど、いろんな意見を耳にしました。

全ての人に全ての物事や機会を平等に与えることは現実的に不可能で、どこかで線引きは必要で、たぶんそれをみんな頭では理解しつつも、
「あの人は協力金が出るのに、うちに出ないってことは、うちが社会に必要ないってことなのかな。」
「社会に見放された。」
と感じて怒りや悲しみが生まれるのかな。
(もちろん、とても辛い状況にいる方がたくさんいらっしゃることは重々承知です。)

ここからは私の個人的な考えです。
なんというか、私は困った時はお互い様だと思っています。
周りの仲間が何か困ってたら出来ることはやりたいし、力になれたら嬉しい。
見返りを求めてるわけじゃなくて、役に立てたらその「嬉しい」という感情で自分は満たされるので、お互い幸せだなと。
もちろん全員に分け隔てなくできるわけではないし、
度を越したパラサイトや犯罪には加担できないけれど。

その「周りの仲間」の範囲を広げていけば、
「時短の飲食店が少しでも保証されて、雇用が守れて良かったね。」
と思えるでしょう、理論上では。

実際、私は今回そこまで考えているわけではありませんが、
そこに怒りをぶつけたとして、誰にどんなプラスの影響があるんだろうと。
その怒りのエネルギーと時間を自分の物作りなど自分のためになることに注いだ方が生産的でみんなのためになるないう、冷静すぎて冷たい印象すら与え得る考え方をしています。
もちろん私も生活の中でカチンと来て怒る時もありますが、
「貴重なエネルギーを無駄に使ってしまった」
とあとで反省しています。

ちょっと話はずれるかもしれませんが、最近思っているのは、
「自分の半径5mくらいの人と一緒に進んでいけたらいいな」
ということです。
数年前までは半径2mくらいでしたが、今は家族だけじゃなくて、もう少し範囲を広げた5m。
会社のような契約や縛りがないけれど、なんとなく
「もー、しょうがないなー」
「これお願いできない?」
「その日空いてるから、私手伝うよ」
と言い合える人たちと、今までの限界より半歩先くらいを目指して切磋琢磨していけたらと。
もちろんお客さんも含めて、私と関わる人に何かプラスの影響を与えられるよう精進したいなと思っています。

世の中は不穏だけれど、一喜一憂せず、振り回されず、
「TSUCURITE」に時間とエネルギーを割いて、より良いものをつくるんだジョー。