
先日は子供の日だったということで、子供にちなんだお話をば。
「時間とお金をかけられないから、子供が “経験の貧困”にならないか心配で」
チャリティーお菓子教室に参加して下さったお母さんがお店に来て下さった時にそう仰っていました。
私自身も ” 経験 ” がその子の考える力を養うことに繋がると思っているのですが、お金と時間をかけなくても経験はいくらでもさせてあげられるとも思っています。
むしろそっちの方が大切だと思っています。
例えば、一個100円の球根を買ってきて水耕栽培する。
成長が目に見えて分かりやすいから、
「お日様の方向に伸びて行くな」
「お水を毎日変えてあげた方が球根も気持ちいいだろうな」
なんて見て、気付いて、行動に移して、その結果を観察するのは面白いはず。
例えばしゅうまいを食べるとき、家にある調味料をテーブルに並べて
「美味しいしゅうまいの付けダレを作ってみる」
なんていうのも楽しいと思う。
不味くても、美味しくても、会話と笑顔が生まれる。
そして
「次はご飯に合う調味料を考えてみよう」
なんて展開をしていったら、この楽しみ方は永遠にできる。
例えば
「明日は冷蔵庫にある食材でサンドイッチを作ろう」
なんてことも楽しい。
親子で考えて作ったサンドイッチを持って近くの公園に行って、だだっ広い原っぱにシートを敷いて食べたら最高なランチタイムになる。
ほらね。
もちろんお金をかけないとできない経験やサービスもたくさんある。
「子供にいろんな経験をさせてあげたい」
とお金や時間をかけて尽力している私の同級生や周りの親御さん達を、自分のことしかやっていない私は尊敬しています。
時間とお金に余裕があるならそのようなサービスを受ける経験は貴重だと思うし、忙しい親としては、お金を支払ってサービスを受けた方が考えることを手放せるから、俗にいうタイパはいいのかもしれないとも思います。
例えば
「子供が行きたがるUSJに行こう」
など。
ただ、それはマストではないし、受動的な経験で得られるものは、ほんの一部だとも思う。
経験の貧困を危惧するという視点で考えたら、
「USJやディズニーに連れて行く」
など受動的な経験より、
「なにもない原っぱで、自分で楽しそうなことを見つけてやってみる」
という能動的に楽しみを作り出す経験の方が100倍その子の糧になると思う。
だって外的な要因に左右されず自分で楽しみや喜びを作り出せるんだから。
もっといえば、受動的な経験を踏まえた上で自分で何か作り出すことができたら、
もう120点満点だろうなとも思います。
自分を健やかに保てる力こそ、生きる力。
あくまで個人的な見解ですが
「経験の貧困」
から考えられる悪影響があるとしたら
「考える力や自分の軸が養われないこと」
だと思うんだよなぁと。
私の開催するチャリティーお菓子教室で、プレーンなクッキー生地、トッピング、無地の袋など材料と枠組みだけ用意して
「どんな形で、どんなトッピングを入れてもいいよ」
「袋やシールに好きなように絵でも字でも書いていいよ」
としているのは、少しでも考える楽しさを感じてもらえたらという思いがあるからです。
材料やレシピ、施設の準備や段取りなどのベースはこっちが用意するから、あとは親子でお菓子作りを通して作ったり考えたりする楽しさを感じることに集中しておくれと思っています。(また7月にやるよ)
「子供をアミューズメントパークに連れて行く旅費を稼がないと」
「他の子供よりもいろんな経験をさせてあげられていないかも」
と親が疲弊したり、自己嫌悪に陥ったり、イライラしたりしたら本末転倒。
親御さんだって同じ人間なわけで、子供も親御さんも健やかに過ごすことの方がみんなにとって絶対にいいってもんだ。
子供時代にやりたくて出来なかったことは大きくなってからすればいいし、
大学に行きたいなら塾に行かなくても学校の勉強を頑張って推薦を取ればいいし、
やり方はいくらだってある。
そのやり方を考えられる力を養うことが大切で、
それは工夫次第でどこでも、誰でもできることだと思う。
できないことや不足していることに注目するんじゃなくて、
肩の力を抜いて、周りに感謝して、今この環境でできることに集中することが大切だなと私自身も学ばせてもらっている今日この頃です。