11月は試作をしながら、あーだこーだ考えている日々でした。
そんなある日、渉が同窓会へ行ったので、何年振りかの一人の夜@自宅 でした。
友達と出かけるだなんて1年に1回あるかないかなので、
貴重な時間をどうすごそうかと考えた結果、
「家でビールと冷奴、映画を見る」
という贅沢をチョイス。
私にとって間違いない過ごし方です。
その時見たのは
「あんのこと」
という邦画。
なぜか妙に気になっていたのです。
ものすっごい暗い映画なので、万人におすすめできるかというとNOですが、邦画ならではの
「見終わってから、考えさせられる」
という時間を過ごせて満足満足。
今日はその時考えたことについて書きたいと思います。
映画のあらすじは
「まともな教育を受けられず虐待を受けて育った子供が犯罪に手を染め、担当の警察官によって更生していこうとするも、親の呪縛からは逃れきれず・・・」
という感じ。
警察官も彼女にとってはヒーローでしたが他方では犯罪を犯していて、
犯罪を暴こうと正義を貫く記者も彼女にとっては信頼できる大人でしたが、その記者の書いた記事で救われた人もいる一方で結果的に彼女は追い詰められていくことになり、
正義ってなんだろう、人間って弱くて一筋縄じゃいかないもんだよね、と。
視点をどこに置くかによって、見え方が違ってくる複雑なストーリーです。
とにかく彼女の家庭環境が最悪極まりないのですが、意外とこういう家庭って日本にもあるんだろうなとも思う。
とにもかくにも、バッドエンド!
映画の中で主人公の彼女は親に振り回され、最初は考える力も材料もなかったから自然と犯罪に手を染めていくのですが、後半は周りの大人たちのサポートのおかげで、自分の力で考えて決断するということを覚え、悩むようになっていきます。
判断材料、選択肢がなかったらそもそも悩むことなんてできないから、
悩むことができること自体が能力なんだなと、
とても新鮮でした。
一方、私はお客さんに
「ゆいさんも悩むことありますか?」
そんなことを聞かれる事があります。
答えが難しいところですが、
おおむね、ない。
というと誤解を招くので丁寧に説明すると、
「何か困ったな」
と思ったら、自分にできることは何かを考えて、そのための英気を養って、準備をして、やるだけだと思っています。
例えば私は英語力が著しく低下していて困ったと思っているわけですが、
「英語を使う」
しか解決策はないから、話せるようになりたいなら、どうやって使う機会を増やすかを考えるだけ。
今の私の生活において優先順位は低いので、言いたいことを英語に置き換えてつぶやく、書く、やっているのはそれくらいですが。
悩む余地なし。
そして家族のことなど、自分の意思だけでどうにもならない場合は
「相手の課題を背負わず、自分が相手に対してどう接していけるかを考えるだけ」
とも思っています。
もちろん家族だから、いいときは恩恵を受けるし、悪い時は負担を強いられるわけですが、
「こうしたらいいのに」
「なんでそんな選択をするんだろう」
と歯がゆい気持ちになることもあるけど、それはその人の選択と人生で、その人の自由。
「私が思うようにコントロールしようとすること自体がおかしい」
とも思っています。
自分の考えは伝えるし、
家族が不得意な部分はできるだけサポートしたいとは思いますが、
それをどう克服していくかは本人の課題。
家族だからって背負いすぎても共倒れするだけだと思っています。
人一人のできることや引き受けられることって想像以上に少ないから。
悩めることは能力だけれど、
悩み続けることに満足してたら何も変わらない。
映画を見ながら、改めてそんなことを考えて、
「久しぶりにいい映画みたわ。」
と幸せに浸ったのでした。