【20代、30代、40代】

写真は10周年のクッキー、スイートテンダイアーモンド。
100枚以上焼くことができて幸せです、ありがとう。

ある人から
「10周年おめでとう。自分ごとの10年ってどんな感じ?」
と聞かれました。

この10年は年月を意識せず、目の前のことだけ考えて、ガーッと走ってきたので、
「人生ゲームをやってた感じ」
というのが正直な感想かな。

少し前、
「20代のうちにやっておきたい○個のこと」
「30代のうちにやっておきたい○個のこと」
なんてトピックが多く出回った時期がありました。
個人的には、
「そんなん読まずに、目の前をみて、思うままに生きなはれ!」
と思うのですが、将来に対する漠然とした不安は誰しもあるから、読みたくなるのも理解できる。
そこで私なりに自分のことを振り返り、そして周りにいる40代の先輩方を見て感じることを考えてみました。



「20代は与えられるものをこなす中で、社会を知る」
「30代は与えてもらう側から与える側にシフトする。社会と自分の関わり方を考え、道を築きはじめる」
「40代は客観的な視点をもって、自分の特性を認識し、役割を全うする」


こんな感じに捉えています。

20代は社会のことなんて全然わからないし、その中で自分がどんなことをできるのかもわからない。
自分のことを客観的にみられなくて当然です。
周りからいろんなタスクを与えられ、意見を言われ(誤った意見も含む)、その中で社会がどうなっているのか、誰のどの意見を信じてチョイスしていくのか、を考えて決めていく。
社会の構図を徐々に理解し始め、
「私にはこういう関わり方が合っているのかな?」
と試行錯誤する時期。
臆せず
「これどうやってやるんですか?」
「わからないので教えてください!」
と周りに聞く力(度胸)をつけて、ガンガン吸収していく時だと思います。
失敗したって指摘してくれたり、怒ってくれる人がいるから全然問題なし。
恐れることなくチャレンジするのが吉、だと個人的には思っています。
ベースとして与える側ではなくて、与えてもらう側。

個人的にはこの時点で
「社会貢献しないと」
なんて考えに縛られなくていいのではと思っています。
もちろん社会貢献を意識することは素晴らしいことですが、
この時点では自分がいろんなものを見て、感じて、吸収していくことのほうが大切で、
それができれば、5年後、10年後、20年後には自動的に社会貢献できるようになるから。
それよりもまずは自分の軸をしっかりと持つことの方が大切だと思います。

30代は自分でアプローチして、自分の道を模索していく。
叱ってくれる人や意見を言ってくれる人は20代に比べてグンと減ります。
20代までは周りの先輩に聞けばわからないことも教えてもらえたけれど、30代は教える側になっていくことを意識する。
” 与えてもらうだけ ” から ” 与える側でもある “ことを意識してシフトしていく。


例えば何かわからないことがあったら人に聞く前に
「自分で調べて、考えて、その上で誰かの意見(知識)を拝借する」
というスタンスが成長につながる。(大切になる。)
もちろん人に聞くことはたくさんあるけれど、
「他の人にも自分の知識を分けられるように準備をする。」
「意見を問われた時に自分なりの考えを述べられるよう準備をする。」
というように、誰かの役に立てるよう(意見交換をできるよう)に準備を重ねていく。
地味だけど、何かを見て、感じて、調べて、自分の意見をまとめることを繰り返すことで、その人の思考力が熟成していく。
すると自分自身のことが徐々に見えてきて、私の道はこれかなというものを築いていくことにつながる。
同時に自分の癖を自覚できるようになり、生きづらい部分を修正して生きやすくなり、自分の軸がぶれないようになっていく。



ちなみに30代の時点で20代と同じやり方をしていると(いつも周りに与えてもらおうという姿勢でいると)、結果的に自分で自分を追い込むことになる気がしています。
なぜなら、何かうまくいかないことを環境(配偶者や友人、上司、子供など)のせいにしたり、
「どうせ私はダメ親だから」「どうせ私は取り柄がないから」「なんで私だけこんなに辛い目にあうの?」という思考に陥って、何の解決にも向かっていかないから。
そして何かのせいにするのは簡単だから、その思考癖がつくと、そこから抜け出すのが難しい。
かつ、やはり何も解決しないから、同じループを辿ることになってしまい、どんどん生きづらくなっていく。

一方、与えてもらうことが当たり前になってしまうと、「無意識に搾取する」側にもなりかねないから要注意だなと思っています。
親にも、配偶者にも、周りの友人たちにも、仕事仲間にも、
「してもらって当たり前」
の気持ちは透けて見えてしまう。

そして40代。
私はまだ迎えていないので周りの大人たちを見ての推測ですが、社会の中での自分の特性と役割を理解して、自分の道を確固たるものとしていくのではと思っています。
人間誰しも、得意不得意があるわけで、できないものはできない。
自分の苦手な部分はそれを得意とする人に感謝の気持ちをもって託せば良い。
その「できない自分」を受け止めて、「得意なところ」を活かして、いかに社会(一番小さな社会は家庭)で役立てるかを考えていく。
そこにしっかりと責任を持って真摯に取り組んでいく。

例えば、家の部材を作っている職人さんがハウスメーカーの現場監督さんに
「納品後の部材が雨の当たるところに置かれていたり、管理が甘いと思うのですが。」
と指摘をした時、現場監督が
「そこは自分はノータッチなので。推測ですけど・・・」
と答えたとしたら、それは ” 現場監督 ” の役割を果たせていないし、真摯な対応とはいえない。
推測は職人さん側だってできているはずで、現場監督さんの推測を聞いたところで何の解決にも繋がらないから。
現場監督として現場スタッフさんたちとの不和に繋がりかねない指摘をしたくないという思いはあるだろうけれど、
目的は
「お施主さんに安全安心な家を引き渡して喜んでもらうこと」
同じ目的に向かっているなら指摘は不和に繋がらないはず。
もし現場監督が自分の役割を理解できているなら
「何か理由があるのかわからないので、確認してすぐ対応します。」
という言葉が真っ先に出てくるはず。
もちろん言うだけじゃなくて対応するまでが大切なのですが。

私は40代の方とお仕事をする機会が多いのですが、正直なところ、この両パターンの対応をされる方がいらっしゃるなぁなんて日々感じています。
こりゃあかんという場面にあった時、私は
「人間だし、誰でも気持ちが揺れてしまうことはあるから、2回までは許す。」
とルールを決めているのですが、3回目も同じ対応だと、残念な気持ちになります。
それぞれの役割を果たそうという心意気を共有できないことが明らかになるので、お客さんに喜んでもらうものは提供できないよなと思うわけです。


自分の役割をしっかりと認識して、責任感を持って対応すれば、周りからの信頼を得られる。
仕事でもそうですが、家庭でもそう。
信頼を得られたら、自分一人じゃできないことができるようになる。
一人ではできない大きな仕事をみんなで達成できるようになったり、家族の誰かがピンチになった時にお互いを支えられるようになる、ということですな。

またやりたいこととできることは必ずしも一致しないので、うまい落とし所を見つけるのも大切。
これは30代に自分の道をなんとなく見つけて、そこであれやこれやとチャレンジしていれば、40代には自然と見つかるのではと思っています。
そのためには自分のことを俯瞰できるようになることもマスト。



最後、少しまとまりがなくなってしまいましたが、
40代(特に前半)は大きな分かれ道なんじゃないかと感じています。
その分岐点は30代後半に始まっているとも思っているので、この数年の私は
「ちゃんと、真面目に、やろう」
と口にすることも多かったです。


50代以降は
「できなくなっていく自分をどう受け入れるか」
がテーマになるんだろうなと思っていますが、まだ遠くてわかりましぇーん。
この先の50代、60代を心身ともに健やかに過ごすためにも、
ここからの10年は自分をしっかりと見張っていきたいと思っています。

私ったら、真面目かよ!