【卑屈になる理由】

ほぼ1か月ぶりに自宅のある常滑へ戻ってまいりました。
まずはお掃除をして、衣替えをしないと着るものがないなと思いつつ、重い腰が上がらない今日この頃。

というのもカナダから帰国後、自分で組んだ10月のスケジュールがタイトすぎました。。。アホだ。。。
もう終わったから正直に言いますが、結構しんどかったぞー!

最初3週間はひたすら焼き、焼き、焼き、心身ともに疲弊。
最後の1週間は少し製造のペースが落ちたものの疲労が蓄積して、人と話すのも連絡を取るのも億劫になる感じ。
今回はランニング道具を持ってこず、リフレッシュできなかったのも良くなかったのかもしれません。
いやー、久しぶりに参った参った!

そんな中、ぼーっと電車で移動していた時に若者が年配の方に席を譲る場面に直面しました。譲られたおばあさんが
「座って!座って!」
と譲った若者に怒った口調で話していました。
彼は良かれと思って譲ったのに、おばあさんは
「年寄り扱いするんじゃない!」
と怒りがこみ上げたらしく、彼は決まりが悪そうに違う車両へ移動していきました。
好意を素直に受け止めたらみんながハッピーなのに、もったいないな。

と同時に、
「卑屈になるのは、以前自分がそれを馬鹿にしていた証拠なのかも」
と思うの巻。
無意識だとしても、彼女は年寄りをどこか劣ったものと捉えていて、
実際に自分がその状態になった時に認めたくないから、卑屈な発言をしてしまうのかなと。
これは年に限った話ではなくて、卑屈なものの見方になる原因はここにあるのかもしれないと思ったのでした。
例えば
「◯◯さんはいいよねー、私なんて〜」
と自分を下にした発言をしたり、
「どうして自分はこんなに頑張っているのに認めてもらえないんだ!」
と悶々としたり、
女性であることがネックのような発言に至ったり。

私自身、病気で大学院を中退してから数年は卑屈な時期もありました。
中学の頃からそこに向かって頑張っていたのに、一気にまっさらの状態になり、
「どうせしがないOLですよ。」
なんて思いながら働いていた時もありましたが、今思うとそれは無意識にOLを下に見ていたという証拠だなと思うわけです。

現在はというと、企業に所属しない個人経営の小さなお菓子屋ですが、そんなことは全く感じていません。
実際にはOLよりも社会的信用度が低くてローンだって組めないという現実が明確だけれど、
そんなことは全く気になりません。

要はいつでも気の持ちようで幸せにも不幸にもなれるってことですな。

3週間後に東京へ行くまでに、
カナダで増量&たるんだままの体を鍛えようと企んでいます。
お洋服のキツさが日々のストレスになっているのは明確だから、
自分がハッピーでいるための必要事項ならば、
高タンパク低脂質のお食事とジョギングとストレッチを3週間続けれるはず!
あ、ここで宣言して自分を追い込む意味合いもありますが、あしからず!