【若さに代わる武器】

大量のゆず、何十キロか。
義理の叔母の家の庭になったものが突然どっさりとやってきました。
お客さんに渡したり、お菓子屋仲間に渡したり、ジャムを仕込んだり、果汁を絞ってお菓子に使ったり。
無農薬のゆずはとてもありがたいのですが、とにかく量が多すぎる。
来年はこの時期に大量の瓶を用意しておこうと思います。
10月は栗仕事、12月は柚子仕事とメモメモ。



今日は最近考えていたことについて。
前にもブログに書いた事がありますが、私は20代の頃
「若さは武器なんだ」
と感じていました。
若いから許されること、若いから魅力的に見られることを経験したし、当時はその武器を使ってるんだという自覚がありました。
と同時に、若さを失う40代になるまでには、それに代わるものを身につけていたいと漠然と考えていました。
身につけているのと、そうでないのとでは大きな差があるなと危機感すら感じていた30代前半。
スキルや知識は日々真剣に取り組めば自動的につくだろうけど、器の大きさ、想像力、バランス感覚、思いやりの心、感情に流されず俯瞰する力などなど人として大切なモノをどうしたら身につけられるだろうかと。
今思うと、妙に冷めた若人だったなぁ。



そして先日、尊敬する人が認めてくれているという事を間接的に感じられることがあり、
「少しは人間力をつけられたのかも」
と思えて、とても嬉しかった40歳冬。




若い頃は
「わかりやすく優しくしてくれる人」
「わかりやすくサポートしてくれる人」
「わかりやすく応援してくれる人」
を器が大きいなぁ、さすがだなぁなんて尊敬の眼差しで見ていましたが、年を重ねるにつれて、
「気づかないところで優しくしてくれてる人」
「見えないところでサポートしてくれてる人」
「目立たないように応援してくれてる人」
が見えてきて、こうなりたいなぁと強く思うようになりました。




例えば私は
「その荷物、持ってあげるよ」
といって持ってくれる人より、
「先を読んで、気付かないうちに荷物を運んでくれてた人」
になりたい。
私が一番尊敬するおじいちゃんがまさにこういう人だったんだよなぁ。
10年後くらいまでにはおじいちゃんにもう少し近づきたいな。




そんなことを考えながら、空になったペットボトルを冷蔵庫内にそのまま放置する渉に
「ちょっとー、捨ててよー。」
と言っている自分がいます。
まだまだ修行が必要ですな。