【普通ってなんだ】

写真はオニオンスープのクッキー。
すりおろしの玉ねぎ、パセリを入れたクッキーです。
ふざけているようで、味は本気なのでご安心を。
寒い季節に、ちょっと暖かい気持ちになれるかな。

今日は先日聴いていたラジオについて。
時事問題に対してコメンテーターの方が、
「普通はこうはしませんよね」
と言いました。
そこで出てきたのは、
普通ってなんだろうという疑問。

普通はこうすべきだ、普通はこうでしょう、みたいな発言はよくあると思うのですが、
普通の基準は人それぞれだよなぁと思う。
その発言者の物差しで測った「普通」は他者には通用しない。

私が初めてこんな事を痛感したのは大学に入った頃でした。
独自の教育法だった中高を卒業する時、先生から
「桐朋生の常識は世間の非常識だよ」
と言われました。
そのときは意味がわからなかったのですが、大学に入ると人と違う事をやる人は一目置かれるとか、それまでの私の中の「普通」は脆くも崩れ去りました。
大人になるってこういう事なんだと思ったと同時に
「自分にとっての普通は万国共通ではないという事を自覚して、人を自分の物差しで測らないように気をつけよう」
と思いました。
もちろん
「私はこうだと思う」
「私ならこうする」
と、あくまで自分の考えではこうだという発言をする事は相手との関係を築くのに大切な過程なので積極的にしますが。

私の通った中高は当時、3人に1人が帰国子女という環境だったので、自動的に多様な人が集まってきていて、自分と違う価値観をもつ人に対して抵抗感がなかったのかもしれません。
後日、女性宇宙飛行士になった卒業生のインタビューでも
「宇宙飛行士になりたいなんて無謀なこと言ってる私に屈託なく「頑張って、あなたならなれるよ」と言ってくれた同級生達に感謝しています」
とありました。
多感な時期をそんないい環境で過ごせた事に感謝ですな。

「一家の主人として、こうあるべき」
「主婦として、こうあるべき」
「母として、こうあるべき」
「女性として、こうあるべき」
「男性として、こうあるべき」

多様性が受け入れありつつあるとされる今の日本でも、まだまだこんな考え方は根強くあると思う。
私の中にも、全くないわけではない。
小さな頃から見てきた物や経験は色濃く影響しているから、たまに顔を出してきます。

ものすごく簡単な例を挙げると、
無職の旦那さんはヒモと呼ばれて蔑まれ、
無職の奥さんは専業主婦と呼ばれて容認される文化は日本においてまだまだあると思う。

でもさ、本来こうあるべき、なんてもんはないよなと心底思っています。
人にはそれぞれ向き不向きや趣向があるから、自分が活き活きといられる場を見つければよいのである!
何をやっても異論を唱える人はいるわけで、だったら本人が健やかに過ごせるようなスタイルを確立すればよい。
活き活きとやっていれば、仲間も集まってくるってもんだ。

というわけで
「こうあるべき」
に苦しんでる方、そんなもんフライアウェイだよ!