【変化が怖いという感覚】

この写真は
丸井出店の時のポスターを作るために渉が撮影してくれたもの。
後ろの緑は厚木店のお庭の緑です。

今日はお客さんからよく聞かれる
「新しい事にチャレンジするとき、怖くないんですか?」
という問いについて。
答えは
「怖くはないです。」

知らない場所で、知らない人達に囲まれて、初めての事に挑むのは確かにエネルギー消費が激しいです。
毎度ゲッソリ、終わった後はすっからかん。


でも怖くはない。
怖いと思う人は
「え?これどうしたらいいの?」
と戸惑うことが怖いのかな?
「もし失敗したらどうしよう」
と心配なのかな?
変化することが怖いのかな?
自分の決断が正しいかわからないから怖いのかな?
何が怖いんだろう?

分からない時は聞いたり調べたり観察して知恵を絞れば解決の糸口は見えると思っているので、怖くはありません。
誰だって初めてを通り越してきたわけだし、その場のルールや法則を知らないのは当然だし、聞くのが恥ずかしいなんて一切ない。
専門的な事はその筋の人に聞いてもいいし、新しい出会いや刺激をもらえて、毎度楽しいです。
そして、そもそも一発目からうまくいくなんて思ってもいないし、現状維持は衰退だから、失敗してもチャレンジした方が100倍いい。
世の中、そんな甘くないさ。
糧があって初めて、次に進めるってもんだと思っています。

でも若い頃からからずっとこんな性格というわけでもなくて、
やはりこの性格は海外に1人で行き始めてから際立ってきたと思います。
英語すら通じないところで困りはてて、身振り手振りで、自分でどうにかするしかないという状況に置かれる機会がしばしばあると人間たくましくなるよねぇ。
(一番のピンチは、トルコの人っ子一人みえない田舎町の無人バス停で一人残されそうになった時。)

ちなみに人生初の海外一人旅はトルコ10日間というハードルの激高いものでした。
自分で行きたくて決めたのに、飛行機が飛び立った瞬間の悲壮感ったら今でも忘れない。
「あたし、もう日本に戻って来れないかも(半べそ)」

お菓子屋も同じです。
始めたはいいものの、どうしていくか選択の連続で、良くも悪くも自分の動き方一つで環境は変わっていきます。

例えば、お店を構える前に催事やイベントで販売するスタイルで8年くらい営業してたわけですが、今思えば私はガッツリぬるま湯に浸かっていたなと。
変化を恐れて、現状維持しようとしていたなと。

そして最近私が実践している「変化」は
「お客さんに人気のないお菓子はラインナップから外すこと」

例えば
「私はこれ好きなんだけど、人気ないんだよなぁ」
ってお菓子は結構あります。
少し前までだったら、それでも作り続けていましたが、最近は廃盤にしています。
自分や家族や友人が好きなら、それは趣味として作れば良い。
お客さんまで巻き込む事ないよなぁと。
そしてできた余白で新しいお菓子を作り出す。
廃盤になったお菓子を好きだった人がもっと好きって思ってもらえるお菓子を作るんだという心意気です。

これ、客観的に見たら当然な事だと思いますが、
自分の事となると変な固執が生まれてしまって、判断が鈍ります。
でも最近はバサッとカラッと変えていっています。
よくなっているか、悪くなっているかは定かではないけれど、
模索して実践してみることは大切なのである!

今回、新商品の「きな粉ブラウニー」を出せたのも、人気の薄いお菓子を廃盤にして得られた時間と心の余裕があってこそ。

これができるようになったのは、自分が作るものに対する愛情が増してきたからなのかなと。
もちろん自分の作るお菓子が好きで、だからお菓子屋をやってるのですが、

好きだから多くの人とその良さを共感したい
→お客さんが受け入れやすいもの、形、単位を模索しないと!
→この人気ないものを同じ形で売り続ける意味ないじゃん

そんなロジックです。

売れ行きが伸びない商品があって、でも
「これを気に入っている常連さんも多いから」
って理由で作り続けている作り手の人、結構いると思います。しかし人気がないってことは何か、どこかズレているはず。一般大衆向けの商品が最上級と言っているわけではなくて、コアな物でも良いものは必ず多くの人の心を掴む。

特に食べ物や飲み物は「ニッチな商材だから売れない」っていうのは言い訳でしかなくて、その物の作り方のアイデア、見せ方、売り方など良い形を模索する事が何より大切だと思っています。


今回は私のお菓子を例に書きましたが、
何か新しいことにチャレンジする時、環境を変える時、
何であっても自分の決断が正しいかどうかは、その後の自分次第。
それが正解にできるよう、精進するのですぜ。


私はこれからも変化を恐れずいきますぜ。