【枠を決めているのは自分】

写真は私を気遣って、仲のいい友人が連れ出してくれた宮下パーク。
都内の最新スポットをおばちゃん二人でウロウロするの巻。
新しい場所に身を置くと、いい刺激になりますな。
大都会もいいもんだ。


今日は宮下パークの帰りの電車で私が考えていたことについて。


私は東京生まれ東京育ち。
詳細に言うと、目黒区生まれ(母子手帳を見て知った)世田谷区育ち。
両親の田舎というものもなかったので、お盆に帰省する人がちょっとうらやましく感じられた子供時代。

20代前半、結婚後も都心から離れた土地に住みたくありませんでした。
友人とお酒を飲んで終電で帰るのに不便だからというテイで、無意識に「都心最上級」と思っていたところがあったと思います。
若かりし会社員だった頃の視野の狭さ。

20代後半、私と渉はそれぞれ自営業となり、家の契約更新をきっかけに都心から少し離れた都内の緑が多いところへ引っ越しました。
都会暮らしが合わない渉の希望、そして私は東京に未練がありつつ
「村に引っ越すの面白いかも(住所が村)」
なんてノリでした。
都心で飲んで、終電で最寄り駅まで着いて、夜中1時頃に家までの長い坂道歌いながらをとぼとぼ歩いてたな。
TSUCURITEを開業し、畑を借りてお野菜作りを始めたり、ジョギングを始めたのもこの頃でした。

30代前半、拠点はこのままに地方や国外へ飛び出すようになっていきました。
拠点にとらわれずに動けることを実感し、拠点は東京でなくてどこでもいいのかも、と思い始めたところで、渉が愛知県常滑市へ行くことに。

30代中盤、国分寺と愛知県常滑の2拠点生活になりました。
愛知にいるときは事務作業や考える作業、国分寺にいるときはひたすら焼いて販売する生活。
初めて首都圏を出て暮らし、文化の違いを目の当たりにしました。
神奈川出身の渉と東京出身の私にとっては、首都圏が心地よい場所であるということに気付きました。

そして昨年、渉の生まれ故郷である神奈川県の厚木に店舗兼住宅を建てました。
「どこでも馴染める」と思っていたのに愛知で馴染めなかった経験から、私は厚木に馴染めるのか不安でした。
しかし何の問題もなく心地よく過ごしています。
私が好きな東京の西側と厚木は空気が似ているし、みんながウェルカムなおかげです。
「厚木に来てくれてありがとう」
と言ってくださる方もいらして、ほんと涙ちょちょぎれます。

一方で宮下パークで感じたように、私は決して東京が嫌いなわけじゃないし、ふとしたときに
「私の根っこのマインドは東京だな」
と感じることも多々あります。

これは東京を出てみてわかったことでした。
住居を移すこと、そして海外旅も大きなきっかけとなりました。
日本の良さを確認できるし、自分が息苦しさを感じてた事がちっぽけな事だと気づく事ができたし、未知のものを以前よりスルッと受け入れられるようになった気がしています。

同じところで留まるのもあり、
でもえいやーと外に出てみると視野が広がって、生きやすくなる。
道を外れろとか海外に行けと言ってるわけではなくて、自分で作った枠が息苦しいなら、少し勇気を出してはみ出してみると視界がクリアになることもある。
たとえそれが本意に反した事であっても、私のように楽になるパターンは大いにあり得る。

出来ないことを嘆くエネルギーがあるなら、今出来ることに集中して楽しめば良い。
「早くコロナが落ち着いて海外旅行行きたいのにぃ」
と嘆くくらいなら、今できる海外との関わり方にチャレンジすればよい。

というわけで、視野を広げることで生きやすくなるなとしみじみ感じています。