【8月26日のこと】

今日はとーっても個人的な日記。
「一区切りがついたからまとめておこう。」
という内容なのでご了承ください。

8月下旬、祖父が94歳で亡くなりました。
母に
「もう1/2しか食べられないから、長くはないと思う。」
と話していた数日後、私が祖父の元へ行くと
「もう1/4しか食べられない。」
と聞き取りにくい声で話してくれました。
その4日後の日曜日、叔母夫婦と一緒に祖父の元へ行こうと準備をしていたところに連絡が入りました。
看護婦さんが朝6時によく寝ているのを確認し、9時に行くと息を引き取っていたそうです。
体中の全てのエネルギーを使い果たして静かに永眠。

その時、私はもともと常滑にいる予定でしたが、なんとなく
「9月の準備を9月頭ではなく8月末にしよう。」
とギリギリになって予定を変えていたおかげで、すぐに祖父の元へ行くことができました。

それから自宅で2日間、私は祖父と同じ部屋で寝起きをしました。
起き上がっていつものように食パンを焼き出すんじゃないかと思うほど亡くなったことを実感できず、どこか不思議な気持ちでした。
その間も私は淡々とお菓子の製造をして、いつも通りだけどいつもとは違う数日間でした。

それから3日後には葬儀を終え、私は予定通り常滑へ帰宅。
家族が動ける日曜日に亡くなり、
酷暑のさなか葬儀の日だけは涼しくて、
私が東京にいる間にすべてが完了するだなんて、さすがおじいちゃんだなと。

残された側(特にずっとお世話をしていた母)からしたら寂しさがないといえば嘘になりますが、
苦しまず穏やかに大好きな祖母の元へ行けたことは祖父にとってよかったと思っています。

祖父のことはブログに何回か書いていますが、彼は私が一番尊敬する人です。
いつも笑顔で、素直で、謙虚で、しっかりと自分の意見と世界を持っていて、芯があって、真面目で、周りのことを思いやり、周りのために尽力することを苦とせず、驕らず、人を責めず、気丈な人。

彼がいなかったら、私はあの大好きな学校へも通えなかったし、工房を構えることもできませんでした。
そして数年前、コンテストでグランプリを取った時に
「由衣はそういう才能もあったのか。」
と喜んでくれたことは一生忘れません。
「大学院まで行ったのに、私は彼のような”真面目で安定した人生”とは違う道に急転回して、彼を悲しませてしまったのでは。」
と心苦しく思っていたことがクリアになった瞬間でした。
自分で自分を追い詰めていたんだなと。

生前、私は彼に来年からの私達夫婦の計画を話しました。
彼は
「うまくいかないな。」
と笑っていましたが、私には淡々と目標に向かってひた走れる祖父の血が流れています。
次は
「由衣はさすがだな。」
と言ってもらおうと思います。

感謝。
そして最後まで気丈に人生を全うした祖父を改めて尊敬。
おじいちゃんから学んだこと、頂いたものは周りへと還元していこう。

おじいちゃん、本当にありがとうございました。
そろそろ大好きなおばあちゃんの元にたどり着いて、
「パパ、遅い!」
って言われてる頃かな。
道中、棺桶に入れたお菓子は役立ったかしら。
50年後くらいにはそっち行くから、またね。