【2018年今を生きることを教わる】

写真は2018年元旦の様子。
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年末は東京でいつものように母とおせちを作り、新年を迎えました。
(今年はかなり手抜きなおせち作りとなりましたが。)
例年と違うことといえば、相棒が愛知にいること、そして93歳のおじいちゃんが病院にいること。
昨年11月末、私がイベントに出ている時に心不全になり、余命2日と言われるもお正月を迎えることができました。
グッジョブおじいちゃん!

2018年初めのブログはおじいちゃんについて書こうと思います。

繁忙期の12月、私はほとんど東京で過ごしていました。
しかも毎日の流れはほぼ同じで、
朝仕事
→25分歩いて入院先に行き、おじいちゃんがお昼ご飯を食べるのを見ている
→25分歩いて帰って仕事
という過ごし方。
義務感で行っているわけでは全くなくて、おじいちゃんを見ていると気持ちが穏やかになるから、つまり自分のための過ごし方。
歩くことは仕事の合間の気分転換になる、という副産物もあります。

入院前、毎日自宅で運動を2時間以上して健康維持に努めていたほど勤勉で真面目な祖父は
93歳でもボケておらず、病院で看護師さんに
「ありがとう。」
とよくお礼を言っています。
2人の娘たちや一人孫の私のことも心配していて私に
「黒い礼服は持っているのか?」
と聞いてみたり、彼のお昼ご飯(ゼリー食)を
「ゆいも食べるか?」
と気を遣ってくれたり。
本人は至って真面目、でも思わずこちらは笑ってしまいます。

誰かを責めたり不機嫌なことはほとんどなく、いつも穏やかで、周りを信頼していて、芯がしっかりとしていて、今できることに一所懸命で、辛い時でも笑顔で、家族を気遣える祖父は、
私が一番尊敬する人です。
彼を超えられる人はなかなかいないだろうね。

ただ祖母の時もそうでしたが、入院してしまえば家族は楽チン、というわけではありません。
ほぼ毎日通い、必要なものを届け、多種多様な病院スタッフさんと今後の話や手続きをして、想像以上に時間と体力と精神力が必要とされます。
(近くでこの一連の流れを見ることがなかったら ” 老いていくことの大変さ ”を感じることができなかったはず、と思うと私はとてもラッキーです。)

そんな大きな負担を一手に担っている母親の疲労困憊ぶりを見ていて辛いことも多々あります。
一方で、母が娘として後悔して欲しくないとも思います。

そして孫の私は今日から10日間ほど常滑へ帰ります。
後ろめたい気持ちもありますが、時間も体力も気力も有限だし、
私には常滑に置いてきてしまった相棒+猫たちがいるのも事実。

今は亡き祖母のことを最後まで心から大事にしていた祖父を見て、
「人生の伴侶は配偶者なんだな。」
と感じたことを思い出しています。
常滑で一足遅い新年を祝い、エナジーチャージをしてまた東京へ帰ってこようと思います。
年を重ねることは楽しくもあり、難しいこともたくさん出てきますな。

「Tsucuriteさん、なんだか暗い年明けですね。」
と思われてしまうかもしれませんがどっこい、私は穏やかな気持ちで新年を迎えました。

クリスマスからの数日間、常滑でゆっくりして英気を養ったおかげもありますが、
今思うのは、家族が無事にお正月を迎えられて良かった、ということだけです。
先を案じてもキリがないし、物事はなるようになると自分に言い聞かせて。

私は
「明日死んでも悔いがないように生きよう。」
と前のめり気味に暮らしていますが、祖父からは”今を生きる”ことを教わりました。
もっと心穏やかに、落ち着いて、今を大事に生きること。

ウンチクを語るわけじゃなく、生き様で見せるおじいちゃん、かっこよすぎるぞ!
元日に病院で笑顔を見せてくれた、そんな祖父の背中を追いかけたい孫であります。