【カナダその31 お料理の番組撮影に参加する】

今日はカナダ旅の続き。
実は先日のブログで紹介したファーマーズマーケットでの撮影の約1週間後に、
「お互いマーケットで買った食材を用いた料理を作る」
という撮影が決まっていました。

突如決まったこの企画に
「いやいや、Taiwan Festの準備で手一杯だわよ。」
と思いつつも、2017年の私は波に乗っかっていくのが信条でした。
こんな機会はなかなかないし、失うものはないんだから、ベストを尽くすのみだなと腹をくくるの巻。

撮影場所は東條さんのお店Tojo’s。
そしてファーマーズマーケットで買った食材の他に、マストで使うものがこちら。

キヌア。
このキヌアは従来のものよりも粘り気があって、お寿司やおにぎりを握るのに適したものです。
農業系の学校、企業、そして東條さんで開発した商品で、まだ市場には出回っていないらしい。
これをジップロックに1kg以上分けていただき、
家で試作し放題な環境が整ったというわけ。

よく
「1つレシピを考えるのに、どれくらいの時間がかかりますか?」
と聞かれるのですが、
「時と場合によります。」
というのが正直なところ。
それまで取り組んできた食材かどうか、アイデアが空から降りてくるかどうか、私の頭の稼働率(ムラのある人なので)によって変わってきます。
例えば、草案から進まず一度放棄して数年後に急にアイデアが湧いて完成することもあれば、
食材と意図を聞いた瞬間にアイデアが固まって試作も数回で完成することもあります。

そして今回の場合はというと、
キヌアは数年前に取り組んだ食材だったので、扱い方はだいたい把握していました。
加えて私は”日本から来たペストリーシェフ”という括りだったのでデザートであること、
Taiwan festでは旬のお野菜を使ったメニューを用意する予定だったのでお野菜を使ったレシピであること、
カナダの人に馴染みやすいようにカナダ食材を使ったレシピであること、
キヌアのスティッキーさを生かしたレシピであること、
高級料理店Tojo’sの雰囲気に馴染むレシピであること・・・
こうして私の中の必要条件をリストアップして、作るレシピを考えていきました。

そんな試作の時の様子がこちら。

真ん中の球体はビーツ。
甘酢に漬けたデザートピクルスのビーツの中を少しくりぬいてキヌアブラウニーを入れ、下にキヌアとアーモンドミルクのソースを敷いています。
そして上にはディル、炒りキヌア、梅干し。

見た目は気に入ったのですが、ビーツの土っぽい味が強すぎてアウト。
ブラウニーとビーツの馴染みも悪い。
ディルとビーツの相性は良い。

そして次はこちら。

ビーツなしでブラウニーのみで食べてみるの巻。
炊いたキヌアを軽くブレンダーで潰して加えたブラウニーは穀物の甘さが感じられて美味だけど、いたって普通。
言うなればつまらない!

そしてその次の段階がこちら。

ブラウニーの配合を変えて、ビーツのピクルス液の配合も変えて試しました。

こんな感じで試作を重ね、
負けず嫌いの私は1品では飽き足らずもう一品完成させて、いざ撮影本番。

完成したのがこちら。

レモンバーベナとキヌアのアイス。
日本から持って行った梅干しとオレガノ、炒りキヌアを乗せています。
レモンバーベナはその名の通りレモンの香りのハーブです。
軽く煮ただけで香りがしっかりと移り、我ながらとても美味しいレシピになりました。

そしてブラウニーの完成品がこちら。

ぎゅっと詰まったブラウニー、デザートピクルスのビーツ2種、オーブンで乾燥焼きしたビーツ、ブラウニーの中にも入れたタイム、干し菊をトッピングして出来上がり。

お皿はどちらもTojo’sさんの物の中から使わせていただきました。

仕込み中のキッチンの一角をお借りしたので邪魔だったこと間違いなしですが、
優しいスタッフの皆さんにご協力いただき無事に終了。

雰囲気が伝わる映像のリンクを一応貼っておきます。

そしてその翌日には撮り忘れていた私の追加撮影をして、カメラマンさんにビール&プーティンをご馳走になるの巻。

カナダに行ってから怒涛&プレッシャーを感じる日々でお酒を飲む余裕がなかったので、久しぶりのビールでした。
日本みたいに冷えていない、泡の少ないビールだけど、格別に美味しく感じられ、たった1杯でしっかり酔いが回りましたとさ。

帰り道、歩き慣れた大通りをゆっくりと歩きながら
「こんなに充実した日々になるとは思わなかったな。」
とぼんやりしてしまいました。
たった4日間の本番のために2ヶ月弱もカナダに滞在して暇すぎやしないかと心配していたのに、
実際はフルに動き回って疲労困憊。
気づいたらベッドに突っ伏して寝ている、ということも何回かあるほどでした。

しかも、元はと言えば私がネットで台湾のマーケットを見つけて、見ず知らずの日本人に
「私も出たいんですけど、協力してください!」
と連絡をしなかったら、
台湾での活動はもとより、カナダで活動する機会はなかっただろうと思うと
この世には縁というものがあるんだろうなと思わずにはいられません。

こんな30代になると、誰が予想していたでしょう!